ミケログ

ミケ(30代父親)の日常ブログ

努力の価値とは



仕事が有る程度パターン化している作業のときは、いろんな事考えてる。

先日考えていたのは、努力の価値について。

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 何かほかの事考えててふと、昔誰かに言われた言葉がよぎったからだ。

その一人に自分がなれないのなら努力の価値はないのか?

「どんなに努力しても、例えば足が速くなりたいとおもって練習しても、世界一に慣れるのは一人だけだ、その一人に自分がなれないのなら努力の価値はない」みたいな話をしたのだと思う、ふと其れを何かのきっかけに思い出した。

 

 たしかに、そういう意味で報われる保証は無い。それどころか究極的に言えば、誰一人世界一を維持し続ける事なんてできない。すごい努力と運で世界一になっても、その後も努力を続けてもいつかほかの誰かに抜かれてしまう。

 

 今まで生きてきた経験則でも、努力はあんまり報われ無いかも。ただそれは極論的に成果を高めているからで、何となく良い方向に向くくらいには役立っているような気もする。まあ努力が足りないからというのも多分に有るのだろうけどね。

 

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 いろいろ寄り道しながら考えたり、時に仕事に集中したりして思ったのは、他の人からの妬みか減る、ていうのは大きな効果だなと思った。努力している姿ってやはり共感を覚えるもんだ。

 

 偶々その努力が実った時、その努力が直接作用してなかったとしても「あの人頑張ってたもんな~」となると、嫉妬されにくいという価値があるのかも、人間関係を円滑にするみたいな。他の人の気持ちを変えるのってすごい難しいけれど、その可能性があるのかなと。

 

 例えば宝くじで一億の資産作った人と、こつこつとまじめに努力して資産を得た人、宝くじだってお金出して買わなきゃ当たらないし、運も実力の内なんて言うけれど、周りの人がその人に持つ印象ってやっぱり違う気がする。

 

 となると、その価値を出すには努力とともに適度なアピールも大事かもですな。恣意的だと逆効果かもしれませんが….

 

 たくさん褒めてもらえる幼少期を過ぎれば、結果を伴わなかった時の努力は、自分でも他人からも中々価値を見いだしづらい。結果が伴わない努力は価値がないという主張も分かる。


我の子供から今に至るまでを振り返っても、これ以上無いほど努力して頑張った事など無い。だから人に努力しようとは言えないけれど、価値というほどではなくても効果はあるんじゃないかな~

 

いざ書き出してみると、なんかうまく文章にできないんだけどまあそんな事思った。

 

初出2013.11.5 再編集2016.2.7

 

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